膝枕する話 1/2

 窓のない室内。無機質な白い光を放つ蛍光灯が薄暗い曇天を連想させる。

 しかしこの部屋に来る途中に見た空は快晴で、突き刺さる寒気を真昼の太陽が少しだけ和らげていた。

 

 季節は冬。屋内で内密に使える場所を探した結果、事情を知る一部の人たちの協力によって研究棟の物置部屋を使わせてもらえることになった。

 かつては少人数のミーティングルームとして使われていたが、いつの間にか不要な机や椅子が運び込まれる部屋になったらしい。

 

 積み重ねられた机などを端に寄せてスペースを作り、たまっていた埃を掃除し、椅子を並べて使っている。

 

「すみません、前の予定からもっと時間を空けておけば良かったですね。ネージュ様のお時間さえあれば今から着替えてきていただいても……」

 

 ドアを開けて現れた彼女は式典服にコートを着込んだ姿だった。

 直前の予定はマグノリア市街地にある教会へ出向いて祈るというもので、普段着に着替える時間は考慮して待ち合わせ時間を決めたつもりだった。しかし予定より帰るのが遅くなってしまったのだろう。

 連絡さえできれば待ち合わせ時間をずらすこともできたけれど、俺たちは遠距離で直接連絡できる手段を持ち合わせていない。こういう突発的な予定変更は難しい。

 

「ううん、他の人もいないから大丈夫」

 

 外との寒暖差で頬を赤らめた彼女が、こちらにまっすぐ向かってきて隣の椅子に腰かけコートを脱ぎ始めた。

 輝くように白い肌が目に飛び込んでくる。

 式典服はホルターネックのワンピースのような形状をしており、かなり薄着で上半身の露出が多い。式典のような特別な場所では大きく胸元が開いている服でもそれほど違和感がないが、日常空間では少し気になってしまう。

 

「少し暖房の温度上げておきますね」
「ありがとう」

 

 彼女から目を逸らし、リモコンで暖房の設定温度を二度上げた。

 椅子の背もたれにコートをかけている間、時計の秒針が進む規則的な音だけが響く。

 

 一瞬の沈黙の隙に不意に強い眠気が襲ってきて、ぱちぱちと瞬きした。

 単純に寝不足。昨日寝たのが朝四時だった。加えてそろそろ昼食が消化される頃合いというのもある。

 四六時中一緒にはいられないのだからきちんと万全の体調で会いたいと思っているのに、気づいたら朝になっているのが良くない。

 

「寝不足?」

 

 隠したつもりの眠気はすぐに看破された。彼女は俺のことをよく見ている。

 

「……申し訳ありません、少し夜更かししてしまって」

 

 本当に申し訳なくて俯き加減に謝った。

 

「謝ることないけど、夜はきちんと寝ないと健康に悪い。まだ若いからって無理しちゃだめ。今日は早く寝て」

「はい……」

 

 会話の最中に眠そうにしていたというのに怒ることもなく優しく諭され、ただただ反省することしかできない。

 

「でも眠いならちょうどいいから膝枕をしてみたい」

「膝枕ですか?」

 

 普段の生活では耳にしない単語に、聞き間違いではないかと聞き返す。

 思わず顔を上げて彼女と目が合うが、その表情からは何の意図も読み取れない。

 

「うん。膝枕」

 

 彼女は透き通る声で再度その単語を口にした。

 どうやら彼女にとって膝枕をするのは照れることではないようで、俺との感覚の違いを感じた。

 俺の中での膝枕という概念は、親のような存在が子どもにするような行為だ。恋人同士でするというのも言われてみれば普通にある話だとは思うが、俺は今まで膝枕をされたいと思ったことがなかった。

 

「気乗りしないなら無理しなくていい」

 

 どう答えるか迷っていると、彼女はそう付け加えた。

 どうしても膝枕がしたいという風ではなく、多少興味があるだけのようだ。

 

「やりたくないというほどではないのですが、ちょっと恥ずかしいというか……」

 

 彼女が「したい」と言っていることを拒否するのは余程の理由が無ければ避けたかった。

 絶対に嫌だとまでは考えていない。たまにはいいか、程度の気持ちはある。

 

「恥ずかしい? 誰も見てないのに?」

 

 彼女が小さく首を傾げ、髪がさらりと揺れた。

 可愛い。脈絡が無いから口には出さない。

 

「なんというか……甘えるようなことをするのに抵抗があるかもしれません」

 

 彼女の前での俺は元々騎士役として演技していた姿で、頼られる存在を目指していた。それから演技の必要がなくなっても同じ振る舞いを続けている。

 俺は彼女に頼られたいのだ。

 逆に甘えたいという気持ちは今のところ無い。それに誰かに甘えているような姿を他ならぬ彼女に見られたくない。

 

「私がしてほしいって言ったんだから、ユーグが私に甘えたことにはならない」

 

 悩んでいたが、彼女にはさも当然のことのように断言されてしまった。

 

「そうでしょうか……?」

「うん。ユーグは私のお願いを聞いてくれただけなんだから、甘えてるのは私のほう。全然気にしなくていい。さあどうぞ」

 

 彼女が自分の太ももをぽんぽん叩いた。ちらっと視線を落とし、式典服に包まれた彼女の脚を視界に入れる。

 式典服は光の当たり具合で色を変える特殊な生地でできていて、そこにある脚の形を浮き上がらせている。

 ――柔らかそう。

 彼女はそんなつもりで膝枕をしたいと言っているのではないと理性が訴えている。でも興味が無いと言ったら完全に噓だ。

 こんな邪な考えが脳裏をよぎっているあたり、きっと恋人同士で行う膝枕というものはあくまでも恋人同士のスキンシップであって、親が子にするそれとは異なるものに違いない。

 

「わかりました。では少しだけ」

「どうぞ」

 

 膝枕への抵抗感は内外からの言い訳で言いくるめられ、結局膝枕をしてもらうことにした。