膝枕する話 2/2

 椅子の位置を調整してから壁のほうを向いて上体を倒し、彼女の太ももの位置に頭を置く。

 絹のような生地が頬に触れて一瞬ひんやりした後、布の向こうから体温が伝わってきた。

 式典服は薄手の生地でできていると聞いたことを思い出す。

 まるで直接触れているかの如き柔らかさを感じる。

 脚に触れていると思うと邪念がわき上がるので、これは枕だと自分に言い聞かせる。とても上質な枕カバーに包まれている柔らかくて温かい枕。

 

 煩悩を振り払い自己暗示をかけていると、頭に彼女の手が触れてゆっくりと動いた。

 頭を撫でられている。

 

「ネージュ様……?」

 

 膝枕はともかく頭を撫でられるのは恥ずかしい。

 これで甘えているのが彼女のほうというのは無理がある。今の光景は客観的に誰がどう見ても俺が甘やかされている。

 

「あの――」

 

 視線を壁から上に向けると、存在感のある胸が視界を覆った。

 胸元が大きく開いた式典服のせいで、何にも隠されていない滑らかな肌が目の前にある。

 芸術的に美しい丸みの向こうにある顔を見たいのだけれど、どうしても意識が逸れる。普段から彼女が不快に思うような視線は向けないように気を付けていても、この状況では難しすぎる。

 胸を見ないことと彼女の顔を見ることの両立が俺には不可能だったので、結局壁に向き直った。

 

「やめたほうがいい?」

 

 やめたくないという感情がありありと感じられる声が上から降ってきた。

 

「……やめなくていいですよ」

 

 どんな顔をしていればいいかわからず、表情筋が強張ったまま、戸惑いと照れが混ざって形容しがたい表情を浮かべた。

 実際とてつもなく恥ずかしいだけで、それ以外の悪感情は無い。彼女に触れられていること自体は心地よく感じられる。

 それならやめさせることはない。

 

「じゃあ続ける」

 

 最近俺が彼女の頭を撫でるようになったから逆のことをしようと思ったのかもしれない。

 一度撫でてみたら悪くない反応をされたのと、他の場所に触れるより心理的抵抗が少なかったので、何度かやっている。

 それで俺の頭を撫でようと思ったのなら、彼女自身は頭を撫でられるのが好きなのだろう。

 

「……はい」

 

 ぽかぽかと暖かい室内で横になったせいもあり、また強い眠気が襲ってきた。

 意識が飛びかけ、うっかりこのまま寝てしまいそうになる。

 いくらなんでも本当に寝るのは良くないと思うのだが、今頭の下にあるのは枕だという自己暗示がきいているのか、体がここを眠っていい場所だと認識しているらしい。

 

「眠かったら寝ていい。少ししたら起こすから」

「それではネージュ様が退屈でしょう」

「寝顔を眺めてるから大丈夫」

「……それは大丈夫ではないのですが……」

 

 目蓋が重くなり、意識に靄がかかって急速に沈んでいく。

 

* * *

 

 意識が覚醒し、どういう状況か思い出すのに数秒要した。

 時計の秒針が刻む音。

 積み重ねられた長机と椅子。温かい感触。頭をゆっくりと撫でられている。

 

「もう起きたの? まだ十分くらいしかたってないからもう少し寝たら?」

 

 上からのんびりとした声が聞こえた瞬間に飛び起きた。

 十分間も寝てしまった。わざわざ約束して会っている最中に。

 謝ろうと思ったが、「もう少し寝たら?」と言っているのに謝られても困るだけだと考え直す。

 もし逆の立場だったら俺も別に怒らない。寝ている様子を可愛いと思って眺めているだけだろう。俺もそんな風に眺められていたと思うと時間を巻き戻したくなるが。

 

「もう眠気は覚めたので大丈夫です」

「そう? じゃあまた今度してもいい?」

 

 彼女は膝枕が気に入ったらしく残念そうな顔をした。

 俺からしてほしいと言うことは今後もないけれど、今回の体験が悪かったわけではない。仮にしてほしいと思うことがあったとしても言い出せそうにないので、また彼女から提案してもらうほうがありがたい。

 

「いいですよ。……でも式典服を着ているときは避けていただきたいかもしれません」

「? わかった」

 

 なぜ避けてほしいと言われたかわかっていない彼女に、理由は告げずに曖昧な笑みで誤魔化した。

 今日は寝不足だったからあんな状況でも眠っただけで、全然眠くないときに同じことをしたら煩悩に負けるかもしれない。

 屋内で会うようになり誰かに見られる心配はなくなっても、やはりプライベートな空間ではないので邪な気持ちに負けてはいけない。

 いつか彼女を家に招けるくらいになったら許される気がする。まだ先は長いが。

 

「あまり時間がなくなってしまいましたが、街でのことを聞かせてください。教会に来ていた方とは話せましたか?」

「うん。希望者が多くて事前に抽選会があったらしくて――」

 

 彼女が街に出るようになったのも、いつか自由な生活を得られるようにする第一歩だ。

 街でのことを話す声に耳を傾けながら、今日も彼女との時間を終えた。