アノ過去編 1/2

※本編の設定面のネタバレが含まれます。また、本編で感じたアノのイメージを大事にしたい方は読まないほうがいいと思います。

 
 
 


 教会本部には祈りの力を研究するための研究所がある。

 祈りの力の研究員はほとんど全員が魔術師だ。祈りの力は結果的には魔力を操作することから、同じく魔力を操作する魔術の知識があると理解しやすいためである。

 しかし魔術師以外に、聖女や祈りの力に詳しい識者が研究員に加わることがある。

 僕たちの所長もそんな一人だった。

 

* * *

 

 月曜日。研究所に集まった研究員の数は十名にも満たず、多くの席が空席になっている。欠席が多いわけではなく、元から席数に対し在籍者が少ないのだ。

 更に在籍しているのは若い者ばかりで、全員が二十代。まるで最近できた組織のようだが、初代大聖女が誕生したときから存在する歴史ある研究所である。

 噂によると、数年前に無許可の研究が行われていたとして大量解雇が行われたのだという。そのせいで人は少ないし、新しく雇用された若手の魔術師しかいないというわけだ。

 僕たちは始業時間になると朝礼のために所長席の前に集まる。所長――ヴィヴィもまた、所長という肩書が似つかわしくないような若い女性だ。

 

「先週、次期大聖女が内定しました」

 

 ヴィヴィは緩くカールした赤毛を耳にかけながら言った。

 次期大聖女の内定。それはつまり、大結界の張り直しが近づいてきたことを意味する。大聖女の就任は世間的には祝い事なのだが、この研究所では誰一人嬉しそうにはしなかった。

 僕たちは真実を知っているから。

 

「内定したのはネージュという聖女で、ここ一年で急速に祈りの力の出力が上がったそうです」

 

 ネージュ。十年以上前から聖女の塔にいるその少女のことを、僕ももちろん知っていた。

 教会は聖女について知ることができる人数を極端に絞っている。そのため聖女が祈りを捧げる際の護衛など、魔術師が適任である仕事に関してはこの研究所の職員が兼任することが多い。それに加えて聖女に実験への協力を依頼することもある。

 護衛にせよ実験にせよ、聖女は複数人で来ることも多い。僕たちは個々の聖女を見分ける必要があるし、記録上も個々の聖女を分けて記録しなければならないのだから、顔も名前も覚えなければいけなかったのだ。

 だから、名前を聞いただけで顔が思い浮かんだ。今回はあの子が死ぬのだと。

 

「司教様によると、祈りの力の出力が急に上がることには必然性があると。……つまり大結界の崩壊が予測より早まる可能性があるとのことです。よって大結界構築用の魔術が本日から最優先の課題となります」

 

 大結界構築用の魔術とは、研究所で代々受け継がれている大規模魔術である。

 聖女に大結界を完遂させることと引き換えに、聖女を死に至らしめる。普通であれば許されない魔術だけれど、この国では許されている。

 なぜなら聖女は人ではなく、祈りの力を行使するために存在する神の力の器だから。

 間違いなく人の子であったはずの聖女を、祈りの力を使えるという事実をもって人ではないと定義しなおす教義。

 これは教会が、そして僕たち自身が自分を赦すための教義だ。何の罪もない少女を殺してしまう罪を背負える者ばかりではないから、教会は彼女らを人ではないものと定義した。

 僕たちが引き起こす結果は何も変わらなくても、信じる者は赦される。

 

「プロジェクトリーダーを、アノに任せます」

 

 ついに自分たちが当事者になるのだ、と覚悟を決めようとしている最中に突然自分の名前を出されて心臓が一瞬止まった。

 全く予測していなかった。なんとなく、この研究所で最も大きなプロジェクトとなる大結界構築については所長であるヴィヴィがリーダーを務めるのだと思い込んでいた。

 そうでなくても、他に適任が……と思考を巡らせるも、適任というほどのメンバーはいないかもしれない。

 何しろ、この研究所にいるのは研究にしか興味がないような若い魔術師ばかり。こう言ってはなんだが魔術師としての能力の代わりに生活能力をすべて捨ててきたような人もいる。消去法で選ぶなら僕になっても仕方ない。

 

「……わかりました。進め方について確認したいので朝礼後にお時間をください」

 

 とにかく指名されたからには引き受ける他ない。正直荷が重いけれど。

 

* * *

 

「やっぱりヴィヴィさんがやってくれませんかー?」

 

 朝礼後、会議室に場所を移してテーブルに突っ伏しながらヴィヴィに直談判した。

 全く所長相手にやるような振る舞いではないが、ヴィヴィも別に所長らしい振る舞いをするわけではないので、いつもこんな感じだ。

 

「あたしは駄目だって教会側から言われたから無理。『聖女の成り損ない』枠だから魔術のことわからないし」

 

 聖女の成り損ない。

 それは聖女候補として大教会に連れて来られながら、祈りの力を使えなかった者たちを蔑む呼び方だ。

 魔術を使えないからと勝手に教会に連れてこられた挙句、祈りの力を使う適性が無いと送り返され、故郷に帰ったら今度は『神様に選ばれなかった』などと言われるらしい。

 教会では彼女らが神様に選ばれなかったというのは誤った解釈であると声明を出している。それに加え、魔術を使えない人――実は男性にも存在する――を無条件に雇用するなどの施策を行っている。魔術具すら使えないとなると就職も不利らしく、教会の待遇は魅力的なのだという。

 魔術を使えない人は主に聖女や聖女候補の世話係に割り当てられるが、時々ヴィヴィのように研究所の職員になる者もいる。魔術師はあまり信心深くない者が多く、祈りの力に関する宗教的知識が不足しているので、それを補う役割だ。

 

「僕らの報告を理解できるくらいには魔術のことわかってると思いますよー?」

「それじゃ足りないってこと。……っていうか、そんなに嫌?」

「嫌っていうか、できるかどうかが怪しいと思うんですよねー。……正直、僕は聖女様のこと人間だと思ってますし」

 

 聖女に大結界を構築させることが正義なのだと。その結果として聖女が命を落とそうとも、それは聖女の使命なのだと。そう心から信じることが自分にできるとは思えない。

 しかしこのプロジェクトを率いるのなら、僕は少なくとも対外的には信じているように振舞わなくてはいけないと思う。

 リーダーが「こんなことはおかしい」なんて言い出してしまったら、きっと他のメンバーも同調してしまう。それで大結界構築の魔術がきちんと完成しなかったら、その結果は僕が負いきれるようなものではない。

 ヴィヴィが心から『聖女は神の力の器』だと信じているのかは知らないが、少なくともそう見込まれて所長をやっているはずだ。教会の考えを僕たちに教えるのがヴィヴィの役割なのだから。きっと、魔術のことがわからなくたってヴィヴィのほうが向いていると思う。

 

「大丈夫、アノならできるって! 教会の人たちとも上手くやれると思う。アノは頭いいし、猫も被れるし、平気で嘘つけるし!」

「それ、段々悪口になってませんー?」

 

 ヴィヴィは不自然なほど明るく言った。

 彼女自身、この研究所にいる魔術師たちが誰も教義を信じていないことは知っているはずだ。信じていたら発案しないような研究をしている。

 それでも僕を適任だと判断したのなら――僕が適任なのだろう。確かに僕は頭がいいし、猫も被れるし、正直に生きているわけでもない。

 大結界構築の補助魔術も、魔術そのものに対して学術的な興味は感じられる。やっていることは非人道的すぎて、最初に考案した人物の思考を疑ってしまうが。

 

「はあ……。じゃあ代わりに実験の企画通してくださいよー。魔力供給のやつ、次の大結界構築に仮説の実証を間に合わせたいんです」

「あー、あれ、ちょっと難しいんだよねー……。教会の聖女観に合うようにストーリー作らないと門前払い食らうから、もうしばらく待って」

「メリットしかない話に素直に頷けないなんてめんどくさい人たちですねー」

 

 僕がヴィヴィにお願いしたのは、うまくいけば大結界構築で聖女が命を落とさずに済むかもしれない研究だった。

 僕たちだって聖女を殺めてしまいたくはないし、教会としても祈りの力を使える人が減らないに越したことはないだろう。

 だから誰も損をしない研究だと思うが、ヴィヴィに言わせるとそういう問題ではないのだという。辛うじて初回の実験は行えたけれど、その後全く進展がない状況だった。

 本当に教会の考えはよくわからない。聖祈力の正体が何であろうと、結果として祈りの力という強大な力をより多く使えるのなら構わないだろう。

 そんな風に僕は思っていて――結局、それは間違いだった。