アノ過去編 2/2

 それから一年ほど、僕は大結界構築の魔術にかかりきりになっていた。

 ベースの魔術は代々受け継がれているが、魔術は日々は進歩している。教会からはより一層強固で長持ちする結界を求められているし、改良の余地は十分にある。

 他の研究の優先度は下げられたまま、時折ヴィヴィに催促だけはしていた。――そんなある日の朝、ヴィヴィが無断で欠席した。

 翌日も、その次も。

 

「――皆さん、おはようございます」

 

 そして数日間もヴィヴィに連絡を取ることができず僕たちが困惑しているところに、教会本部のトップである司教が現れた。

 研究所に司教が来るのは、僕の記憶においては初めてだ。ただならぬことが起こったのだと察した。

 

「皆さんにお伝えしなければならないことがあります。研究案の有害性を指摘するという職務を放棄したため、所長を務めていただいていたヴィヴィさんは先日解雇処分となりました」

 

 司教の不思議と耳に心地よい声が、まっすぐ頭に殴りかかってきたかのような衝撃をもたらした。

 有害性とはなんだ。

 僕たちはただ祈りの力を解明し、それを役立てようとしているだけなのに?

 

「誤解しないでいただきたいのですが、あなたたちが自由な発想を行うことは構わないのです。けれど、それが神聖な存在を汚すようなものであったなら、それを止めることが彼女には求められていました。そのために――」

 

 ぐらぐら揺れたままの頭の中を声が素通りしていって、何を言っているのかよくわからなかった。

 でも多分、僕たちのせいだと言っている。

 僕たちが――僕が、教会が考える聖女という存在について理解しようとせずに、実験させてほしいと頼んだから。

 ヴィヴィが僕たちの提案を止めたことは無かった。教会に受け入れてもらえるように頭を悩ませ、時間をかけて、最終的には許可を取ってきてくれていた。僕たちはそれが彼女の仕事だと思っていた。

 本当は違ったのだ。ずっと無理なことをさせていた。

 

「――新たな所長ですが、アノさんにお願いしたいと思います」

 

 また。あの日ヴィヴィから告げられたように、急に名前を出された。

 跳ねるように顔を上げたら司教と目があった。司教は優し気に微笑んでいる。

 

「業務については別途、把握している者から引継ぎを行います。午後には派遣しますので」

「……所長は……引継ぎの場には来ないのですか? もしかして教会から追放されたり……?」

「彼女をこの研究所に立ち入らせることは今後一切ありません。でも本人が希望する限り教会での雇用は継続しますから安心してください。再教育後に聖女の塔での業務に従事してもらう予定です」

「……そうですか。わかりました」

 

 安心してください、という言葉とは裏腹に、急に不安が心の中に広がった。ヴィヴィはもしかしたら、恐ろしい目に遭っているのではないか?

 きっとそんなはずはない。教会本部に雇用されている人の中にも魔術師を始めとして信仰が薄い人はいて、それを教会はそんなに問題視してはいない。

 別に心から信仰していなくたっていい。表面上、最低限の信仰を持っているように振舞えればそれでいいのだ。

 でも塔で働く聖女の世話係たちは違うように思えた。

 聖女とはたまにしか接しない僕たちとは違い、普段から世話をしているのに、教会の指示に従って幼い少女たちに冷たく機械的に接している。僕たちですら持っている僅かな情さえ感じられない人形のような人たち。

 僕が知っているヴィヴィがあんな風になれるとは思えなかった。

 

「話が逸れましたが、所長就任にあたり、アノさんには聖女や祈りの力がどういうものなのか改めて学んでいただきます。今回は私が直々にお教えしましょう。ヴィヴィさんの二の舞にならないように」

 

 再教育なるものでヴィヴィをあの人たちのように変えてしまえると言うのなら、仮面のように微笑んでいる目の前の人が、とても恐ろしく感じられたのだ。

 

「後ほど日程を調整しましょう。よろしくお願いしますね」

「……はい」

 

 僕に拒否権は無い。

 それならせめて僕自身と他の研究員を守らなくてはいけない。望んだ研究ができなくても従順に振る舞い、それができない人は僕が止める。

 聖女が死んでもいいとは思っていない。研究を諦めるわけではない。機を待つだけだ。

 ただ僕の代では間に合わないだろう。

 きっと僕は聖女を――あのネージュという少女を殺すことになる。