後編 2/4
「実はですね……。ネージュ様はいつも大変清楚で上品な服をお召しじゃないですか。どんなに暑くてもブラウスのボタンは全部留めてリボンもして、パニエを入れてスカートをふわっとさせて。とても可愛らしい。とても素敵。この世の宝」
やや芝居がかった仕草をしながらニナが語りだす。ニナは自称『ネージュ様ガチ勢』なので、こうして彼女の魅力を語りだすと止まらない。
それにしても、あのスカートがふわっとしてるのはパニエっていうのか。あまり使わなそうな知識が増えた。
俺はざっくり聞き流しながら、買った飲み物を飲む。
「でも! こんな暑い日に外で待ち合わせなんかさせるクソ野郎がいるので、わたしはネージュ様が熱中症にでもなるんじゃないかって心配なんです!」
指さされるが、ちょうど昨日そんな話をしたところだったので心外だ。
「俺が無理やり連れだしてるみたいな言い方やめろ。俺だってやめとこうか聞いたけど嫌だって言われたんだよ」
「わかってますよ、ネージュ様が望んでるってことは。隙あらば惚気るのやめてください」
「別に惚気てないけど」
「あーはいはい、話を戻しますよ」
釈然としないが、本筋でないところで脱線しても仕方ないので黙って続きを促す。
俺も飲み物を買いに来ただけで休憩時間ではないし、あまり話し込むわけにもいかない。
「で、心配なので、もう少し涼し気なお洋服をお薦めしたんです。そうしたらどういう服がいいかわからないから選んで買ってきてほしいと仰られましてね。昨日喜びに震えながらお似合いのお洋服を買ってきたんです。夜に試着していただいたんですけど、もうこの世のすべてがネージュ様の麗しさにひれ伏すと言っても過言ではなかったです」
それは過言だと思うが、ニナの趣味で似合うと思った服を買ったのだからニナにはそう見えたのだろう。
特に突っ込まないでおく。
「それで今日早速着てくださったんですけど。わたしはベタ褒めしたんですけどね? あなたに変だと思われないかがどうしても不安みたいでしてね? はー、恋する乙女って感じで可愛いですね。可愛いんですけど、不安のあまりに待ち合わせの前にいつもの服に着替えるんじゃ本末転倒ですから、とにかく今日だけはそのまま待ち合わせに行っていただくことにしたんです」
「……なるほど」
つまり今日、彼女はニナが選んだ涼し気な服を着てくるらしい。
どんな服だろう。さっきの話からは、首元が詰まっていなくて、スカートがふわっとしていない服だろうということしかわからない。 でもニナは彼女の服の趣味を知っているし、涼しさ優先とはいえそんなに露出が多い服は選ばないに違いない。ミニスカートとか。背中がざっくり開いてるとか。
「ちょっと、変な想像しないでくださいよ? その辺歩いてるギャルみたいに肌見せした下品な服じゃないですからね⁉」
「わかってるよ。ニナはそんな服選ばない」
「わかってればいいです。想像でもネージュ様を汚されたら耐えられませんからね。で、本題ですけど、いいですか。今日絶対にネージュ様のお洋服を褒めてください。そうでないといつもの服に逆戻りしちゃって熱中症になってしまいます」
いつもの服でも熱中症になるわけではないだろう。それって単に自分が選んだ服を着てほしいだけじゃないか?
若干の疑念はあるものの、まだ外で会うことが続く以上はより涼しい服のほうがいいのは違いない。
「本題までの話が長い。……まあ、わかった。褒めるから大丈夫」
「本当にわかってますか? ちょっと何て言うつもりか今言ってみてくださいよ」
「実物見てないのに無茶言うな」
「は? 実物をちゃんと見て言及してあげようという姿勢は評価しますけど、どんな服だろうと必ず言うべきことはあるでしょう?」
上から目線で評価されたが、それはともかく一応考える。
変だと思われないか不安だと言っているらしいので、変ではないと伝えればいい、はず。
ニナと話している俺の頭で考えても褒め言葉は出てこないので、彼女と話すときの自分をイメージする。彼女を前にしているときの自分は割とすらすら褒め言葉を口にできるから。
「……『よくお似合いですね』?」
それを聞いた途端、ニナはわざとらしく盛大なため息をついた。
「ほんっっっっとに女心がわからないクソ野郎ですね! 違いますよ! 似合ってるなんて誰にでも言う褒め言葉じゃないですか!」
「え、言わないけど。わざわざ他人の服褒めることなんかある?」
正直他人の服装なんてどうでもいい。当然言及することもない。むしろ今日向かいに座っている同僚がどんな服を着ていたかも覚えていない。
今まで生きてきて「似合っている」なんて言ったのは彼女に対してだけだ。
「あーそうでした、あなたそういう人でしたね……。ちょっと気が利いてる人は言うんですよ」
「へえ」
「よくそんなんでネージュ様の前ではあんなキャラになれますね? まあともかく! 親切なわたしが教えてあげます、ネージュ様に言うべきなのは『可愛い』です!」
――可愛い。
思ったことは幾度となくあるけれど、それを口に出すかどうかは話が別で。
彼女と話しているときの自分であってもすらすら言える言葉ではなかった。
「それくらいさらっと言えますよね⁉ 絶対言ってくださいよ!」
「それはちょっと」
「あーあー聞こえなーい。じゃ、わたし仕事に戻りますねー」
そう言ってニナはあっという間に立ち去ってしまった。