後編 3/4
――ということがあって、俺は彼女に「可愛い」と言わなければならないことになっている。
とはいえ思ってもいないことを言いたくはないのだけれど、それは杞憂だった。
少し襟ぐりが開いた白いワンピースが、裾のほうから腰にかけて深海のようなグラデーションを描いて青く染まっている。
二の腕を完全に覆う袖は長めだけれど、透ける素材が重なっていて、風をはらんでひらひら靡いている。
腰の高い位置がリボンで緩く引き絞られていて。
膝下丈のスカートは二段のフリルになっており、いつもほどではないがふわりと広がっている。
いつもの服装とは違うけれど彼女の印象を損なうことはなく、ニナがベタ褒めしたというのもわかる服だった。
「……お待たせ」
彼女は日傘を畳みながら俺の左側に腰を下ろし、少し不安げな目をして言う。
「その服、初めて見ますね」
俺は穏やかな笑顔を浮かべて、柔らかい声で、彼女と接するときの自分になる。
最初は意識的にしていた演技だったけれどもう慣れてしまった。自然にこうなるし、逆に今更これをやめろと言われても難しい。
「ニナが『もっと涼しい服じゃないと熱中症が心配だ』って言うから、昨日買ってきてもらって……」
「そうなんですか。ニナはネージュ様のこと過保護すぎるくらい大事にしてますからね」
彼女は俺がその話を知っているとは知らないので、初めて聞いた体ていで返答する。
そして褒めないといけない。
とりあえず一旦「可愛い」と言わなければいけないことは忘れよう。それを考えていると普通に言える言葉も出てこなくなる。
「私もいつも着てらっしゃるような服は少し暑そうに見えていたので、暑い日はそういう服のほうがいいと思いますよ。海みたいに綺麗な色で、……ネージュ様の目の色と似ていてよくお似合いです」
「……ありがとう」
既にこの時点で彼女は頬を赤くしていた。褒められるのにとことん慣れていないらしい。
ニナが言うには多少気が利いた人は「似合う」くらいは普通に言うらしいのだが、この感じだと彼女は誰にでもこんな反応をしてしまうのだろうか。
それはちょっと嫌だ。相手にも誤解されそうだし。「似合う」くらいの褒め言葉はもっと酸素のように供給しておくほうがいいのかもしれない。俺も彼女に対しては普通に言えるし。
それはそうと、もうさっきので俺の中では彼女の不安を解消できた気がするのだけれど、脳内でニナが何やら喚いている。
――まあ一応約束したから。だいぶ一方的だったけど。
心の中で密かに覚悟を決めて、でも顔には出さないようにして。
「あと、……ひらひらしてて涼しそうで可愛いです」
少しだけ小さな声で言うと、彼女は弾かれたようにこちらを見た。
「え、……かわ、……⁉」
完全に耳まで赤くなっている。
間違いなくとても可愛い。服ではなくて彼女が。
こんな顔をしてくれるんだったらもっと言っておかないと損かもしれない。言いすぎて慣れてしまったら少し悲しいけれど。
「――可愛いです。あ、いつもの服が可愛くないわけではないですが」
あくまでも服が可愛いという話にしておいて。
「あ、……ありがとう……」
彼女は俯いて、自分の頬を両手で包み息を吐いた。