俺の彼女が世界で一番可愛い 3/3

 唐突に彼女が俺の胸のあたりに耳を押しつけてきた。体勢を維持するために片手で俺の服を掴み、上半身が全体的に押し付けられる。

 

「ユーグが教えてくれないなら直接確かめる」

 

 どうやら心臓の音を聞こうとしているらしい。彼女はたまに目的に向かって邁進するあまりに突拍子もないことをする。

 こうして平然とした様子で体を寄せてくるのは自分の状況が意識の外にあるだけだ。いつもひとしきり俺を混乱させてから我に返り、自分が何をしていたかを遅れて理解して恥ずかしがる。

 

 そういえば心臓が持たないと感じるようなときは大体そういうときだ。俺が必死になって落ち着きを取り戻そうとしているとき、彼女は俺のことを見ていない。俺と会話はしていても別のことに集中していて、俺の様子が多少不自然でも気に留めないのだろう。

 誤解の一番の原因はこれかもしれない。

 ――そんなことより彼女を腕の中に収めたい。

 誤解の原因考察で意識を逸らそうと抗ってみたがだめだった。

 ぴったりとくっついてくる姿の可愛らしさと、体温と、柔らかさと、すべてが一気に襲ってきてどうしようもない。

 ちょっと腕を伸ばして彼女の背中に回すだけでいい。

 

「そんなに薄着ではないので心臓の音なんて聞こえないと思いますが」

「じゃあ服を脱いで」

「それはちょっと寒いですね……」

 

 誰かに見られたって誤魔化しがきかないなんてことはない、少しくらい大丈夫だ、なんて悪魔の囁きが聞こえる。

 でも。

 

「――ネージュ様がそうしていてくださると温かいですけど」

「えっ」

 

 彼女が俺にしがみついたまま顔を上げた。

 至近距離で目が合ったが、こうなることは予想していたので笑顔を返す。大丈夫だ。いつも通りにできているはず。

 一呼吸置いた後、彼女はすっと俺から手を離し、神妙な面持ちで元々座っていた位置に姿勢よく座り直した。

 

「今のは違くて……純粋に心臓の音を聞きたかっただけで……服を脱いでとかいうのは、その、……ごめんなさい」

 

 いつものように自分の行動を反芻し、みるみる赤くなっていく。そしてなぜか毎回俺に謝るのは一種の照れ隠し的な行動なのだろうか。

 

「わかってますから大丈夫です」

 

 何にせよ、ひとまず暴力的なほどに膨れ上がっていた欲求に負けずに済んで安堵する。あのまま魔が差して抱きしめたりしていたら、そのまま歯止めがきかなくなりそうで。

 こんなところで押し倒しでもしてしまったら幾らなんでもまずい。人に見られるかどうか以前に、彼女から軽蔑の眼差しを向けられたら……と思うと恐ろしすぎる。

 

 でもまだ脳内でぐるぐると燻っている。ぱたぱたと手で顔を仰いでいる様子が可愛くて、意識していないとじっと見つめてしまう。

 目を逸らそうとしたら、彼女が急に手を動かすのをやめてこちらを向いたので目が合ってしまった。

 

「どきどきした?」

「え?」

「さっき。私がああやってユーグにくっついたらどきどきする?」

 

 まさか今ずっと見ていたことを指摘されたのかと動揺してしまったが、そうではないようだ。

 

「はい」

 

 誤魔化そうか迷ったが、ここで誤魔化すとまた彼女を不安にさせてしまいそうなので正直に答えることにした。

 それにあれで何とも思わないなんて言うほうが失礼だろう。可愛い恋人が体を寄せてきてくれているのだから。

 

「そっか」

 

 彼女がふわりと微笑んだ。

 今笑うのは心臓に悪すぎる。笑顔なんて見せられたら、魔術のせいでめちゃくちゃになっている思考回路が『可愛い』で埋めつくされてしまう。

 笑わなくても怒っていても可愛いから、笑っているともっと可愛い。

 

 ――うまく表情を作れない。

 顔が熱くなるのを感じて咄嗟に顔を背けてしまった。今たぶん変な顔をしている。見られたくない。

 いつもとあまり変わらないなんて言った癖に。本当はそんなことはないと露呈させてしまったのが恥ずかしくて、余計に表情が取り繕えなくなっていく。

 

「どうして今……?」

 

 不思議そうな声が聞こえた。

 普通に会話していただけのつもりなのだろう。自分が微笑んだことすら特に気に留めていないかもしれない。

 そんな彼女に「笑ったから」と言うのは嫌だ。笑顔を増やそうとされたら困る。たまに笑うだけでいい。できたら俺の前でだけ。

 

「……ネージュ様が可愛いからです」

 

 結局、俺の恋人が世界で一番可愛いせいだ。

 ――もう頼まれても絶対にこういう魔術は使わないことにしようと心に決めた。